2002.12.14
ルモンド。ギリシャの村にお魚の雨が降ったお話しです。「同じ降るならお札が降ってきたらいいな」と言うような輩は、詩心がないのでしょうね。
par Pierre Georges
Poissons volent (2002.12.13)
魚が飛ぶ
結局のところ、そんなに気を落とすこともない。原油でいつも汚染されている海や、しょっちゅう起こる些細な犯罪事件や、経済指標がいつも錐揉み状態にあることや、天気予報はいつも警戒予報ばかり出すことなど、僕らの住むところには厭なことはいっぱいあるけれども。
そんなことは「なにくそ」と言って、ちょっぴり優しい気持ちを持とう。詩心を持とう。たとえば、このアテネからの短い電報だ。アテネの天気は、必ずしもいい天気ばっかりとは限らない。ギリシャの北部の山間地方となれば尚更。でも、あの辺の嵐は、時として人に夢を見させ、笑みをもたらすような趣味の良い嵐だ。コロナという山間部の村で、火曜日、雨が降った。何百という小魚の雨である。無数のほたるの鱗片が天から降ってきたように。
とてもびっくりするような現象だ。というのも「フライの嵐だ、子供達フライパンもってこい」なんと言うことは、そう毎日起こることではないから。だから、これは撮影されてテレビでも報道された。嘘じゃないのだ、本当のことだ。サロニック大学の気象学の先生はちゃんと説明をしてくれた。どんな現象にも説明は付き物だ。翼も持っていないし、熱気球用の浮き袋も持っていないお魚がどうして雨になって降ってきたのかも、ちゃんと説明出来るのである。
こういうことのようだ。1)この地方で激しい悪天候が発生していた。2)その結果、暴風は小規模の竜巻を発生させ、それが電気掃除機のように、近くにあるドイラニ湖の水を吸い上げた。3)その湖の小さな魚が湖水と一緒に吸い上げられ、天高く舞い上がり、北部の方に飛んでいき、そこで雨となって、あたかも奇跡のように村の屋根や路地の上に降り注いだというわけだ。
このようにして数々の伝説や奇跡が起こった話が生まれてくるのは、疑いないところだ。とにかく、このことでコロナの村に住む人々は、自分が歳を取った時に子供に語り継ぐべきお話しを持つことになった。天から魚が降ってきたあの火曜日のことを。これこそ過ぎ去った出来事を伝説として口承で伝えてゆく地方の伝統を利用するべき出来事なのだ。
このお話は我々の気象学からして明らかに珍しいことだ。非常に珍しい。でも決して起こりえないことではない。たとえば、ある朝、または夜、木々の葉っぱが、自動車の車体が、黄色い鱗片で覆われているというような、ある種の夢のような詩的な発見をすることがある。そう、これは起こることだ、保証してもいい。砂漠でもないのに、近くに砂丘がないのに、風が砂を運んで来るではないか。そして砂の雨が降る。遠くの砂漠からの砂が、あのいい香りがする熱い砂が、降ることがあるではないか。
そういう時、いつも同じ夢を見る。パリ・ダカール間に長く伸びる不動の旅の路が、あなたの駐車場まで伸びてきている夢だ。砂を含んだ風、その結果としての砂の雨は、よく知られた現象である。北アフリカから、サハラ砂漠から、風はあたかも巨大な電気掃除機のように、砂を吸い上げ、高く吹き上げ、成層圏にまで持ち上げる。この美しいイメージを思い浮かべてみよう。その砂が追い風を受け、うぶ毛のように飛び、やがて降り注いでくるのが見える。
よく分かったでしょう。これで用心深い人は、牛よけバンパーとワイヤー巻き上げ機付の四輪駆動車を、パリのアブキール通りに吹く砂嵐に備えて買うことになるかもしれない。冗談を言い合うのではなく、むしろ恐怖に震えましょう。最大級の暴風が彼の地で発生したら、明日、パリに降るのは、保証しますが、それはサソリの雨なのです。
ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 13.12.02
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